観光スポット

Spot

TOP

/

観光スポット

条件を指定して検索

  • 検索条件:
    カテゴリー「歴史に触れる」
  • 登録件数:
    132

加西市エリア

法華山一乗寺

7世紀創造の古刹 優れた仏教文化の宝庫。白雉元年(650年)の創建。天竺の高僧、法道仙人の開基と伝えられる天台宗の名刹で、西国三十三観音霊場第26番札所にもなっています。国宝の三重の塔は、平安時代末期に建てられた兵庫県内最古の塔といわれ、藤原様式の名建築です。ほかの建物も貴重なものが多く、本堂(金堂)、護法堂、妙見堂、弁天堂は重要文化財に指定されているほか、国宝「聖徳太子及び天台高僧画像」を所蔵しています。

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

加都良神社

ご祭神は加都良之命で、家内安全、開運招福などのご利益があるといわれています。創立年月日は定かではありませんが、江戸初期もしくはそれ以前の創立と推測されています。この神社では、昭和のはじめごろまで鶏合わせが行われていました。元日の朝、お当が八柱権現の前で「大事小言、村まんべんに、五穀成就」と唱え、元気に暮らせるよう拝んだ後に、鶏を合わせ、鶏の鳴き声で豊作を占いました。その後、加都良神社での鶏合わせはすたれましたが、町の播州柏保存会により大切に保存・飼育されています。また、平成元年には町文化財に指定され、種の保存が図られています。

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

大石良雄の石垣(西谷公園)

元禄時代、旧大和村は赤穂藩の飛地領でした。当時、赤穂藩は米の増産による安定した藩財政を確立するため、各地でため池などの灌漑工事を行ったようです。この地の工事は、それらの中でも群を抜いた大規模のものであり、赤穂藩直轄の工事で当時の赤穂藩筆頭家老、大石内蔵助良雄が造らせたと伝えられています。しかし、堤体を積み重ねる最後の工程の際、豪雨のため堤が決壊したといわれています。現在では、洪水吐の石垣と底樋管のトンネルを残すのみとなっています。また西谷なごみの森は、かつて薪や炭の生産が行われ、里山林として人々に親しまれてきた森です。アカマツ林やアラカシ林、ツガ林、植林されたスギ・ヒノキの人工林が見られます。この里山の入口では、地元で「みそ岩」と呼ばれる流紋岩の岩場がみられ、ヒトツバやシシランなどの珍しい植物が観察できます。途中の展望からは、なごみの里山都をはじめ大和地区が望め、また遠方には地域のシンボル笠形山が望めます。そして、谷筋のせせらぎ沿いには、ヤブツバキの群生地が広がり、背後にせり出す巨岩と相まって独特の風景が見られます。春には西谷公園さくら祭りが催され、桜を囲んでそば打ち、などの体験が楽しめます。

西谷公園キャンプ場 http://www.town.yachiyo.hyogo.jp/user/nagomi/saidani.htm 

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

敬老の日提唱の地の石碑

「敬老の日」発祥の町 多可町!多可町は「敬老の日」発祥の町です。高さ約2?の石碑が現在も八千代コミュニティプラザの玄関脇にあり、前面には「敬老の日提唱の地」と彫り込まれています。戦後の動乱期、野間谷村(旧八千代町)で初めて村主催の敬老会を開催し、長い間社会に貢献されてきたお年寄りに敬意を表すとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けました。そして、9月15日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日とすることにしました。その後、昭和41年、「敬老の日」は体育の日などとともに国民の祝日に加えられたのです。多可町ではこの敬老の精神をこれからも大切に受け継いでいきます。

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

上三原毘沙門堂

柳山楊柳寺法寺院の飛地蔵内所属の仏堂。県指定文化財である 絹本著色の般若十六善神画像はここに展示されています。かつて存在していた鐘の銘から、鎌倉時代末期には既に毘沙門天が祀られていたことが分かっています。江戸時代初期に火災にあい、現在の建物は元禄14(1701)年に再建されたものです。般若十六善神は南北朝時代の作品です。なお、この地には「雨乞いの鐘」があり雨乞い伝説が残っています。

県指定有形文化財 般若十六善神画像
http://www.takacho.jp/nakafureai/youryuuji-jyurokuzenjingazou.html 

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

楊柳寺

柳山楊柳寺(俗に柳の観音さん)は白雉年間(6世紀半ば)法道仙人の開基を伝える古刹で、法道仙人が山麓の柳の大木から光りを放っている菩薩を見つけ、その尊像を柳の木に刻んだという故事があり、山号を柳山と称しました。一大霊刹として隆盛を極めましたが、天正年間、野間城落城の際に消失しました。この時、貴重な仏像が運び出され難を逃れました。県指定文化財となっている平安時代の木造十一面観音立像三体・木造兜跋(とばつ)毘沙門天立像・木造毘沙門天立像・木造千手観音立像等六体を今に伝えています。周辺にはシイノキ、 ツクバネガシを主体に、イズセンリョウやタマミズキなどの貴重な 樹木も見られる自然林が広がっています。 この森は、かつて薪や炭の原料をとる生活の場として、また、楊柳寺の鎮守の森としても親しまれてきました。この里山では、まずナンテンやチャノキが林床にみられる荘厳なスギ林に出会えます。その’ナンチャ’広場には、ヤンチャな子どもたちも集えるようテーブルベンチを設置しています。また屋根筋には地域の美しい景観を望める展望あずまやがあるほか、ヤマモモやシイノキの大木や実のなる木もみられます。そして散策路は、山頂にあずまやがある観音山へと続いています。山すそ沿いには、大きな松ぼっくりのテーダマツや竹林など多様な森とふれあえる高低差の少ない散策路もありますのでご利用下さい。

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

下三原貴船神社

五穀豊穣を願う伝統行事「雨散散」天文10(1541)年、中野間・花の宮貴船神社から分社したと伝えられています。 今の本殿は江戸中期・寛文12(1672)年、淡路浦村(現・東浦町浦)からの出稼ぎ大工たちによって建てられました。重厚な建築は当時の技巧を知る貴重な遺構です。元日に行われる雨乞い行事、雨散散(ゆうばらばら)を民俗行事として伝承しています。 これは、天明年間(1781~1789)に大干ばつに見舞われたとき、村人一同が氏神の八幡菩薩に雨乞いと豊作を祈願したことが始まりであると伝えられています。村人はフジ蔓で作った輪をつけたシキミの枝に神主から雨(お神酒)を振りかけてもらい、その枝を持ち帰り田畑に刺してその年の五穀豊穣を願います。

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

中野間貴船神社

氏子は中野間・下野間・仕出原の三集落にまたがっています。祭事には馬駆け(流鏑馬)、屋台の練り込みが行われています。馬駆けについては、その昔、土地の豪族が五穀成就の吉凶を弓矢の的にかけて試したという故事にならって、毎年三集落が交替で当元をつとめる習慣になっています。まず、塩ふりが道先を清め「馬乗り」が弓矢で的を射て参道を三往復します。昔は参道の両側を参詣人が取りかこみ、馬の尻を竿や竹でたたいて狂奔させて盛り上げることが習慣だったようです。

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

光竜寺山城跡

八千代地域局北方にある標高214mの通称「トンナ山」の山頂部を主郭とする梯郭式山城です。室町時代中期から戦国時代にかけて建てられ、主郭は南北50m、東西24mの広さを持っています。野間山城に比べて居住性が高く2郭には建物跡が残っています。また、この城山の跡を広く伝えるため、毎年5月に公民館周辺で城山まつりが開催されています。当日は、城山の模型を使った当時の野間城下の説明や、甲冑を身にまとい16世紀の野間城下で行われた合戦の様子の演劇が催され会場は大盛況です。参加者には、当集落からナメコ汁やおにぎりが振る舞われます。 山頂にあった「本丸」は南北48m、東西24mの長方形で、南側には建物跡が確認されています。 ここへ登る道は「大手道」と「からめて道」の二つ。 大手道は県道の大手橋付近から三の丸にいたる道で、かつて使われていた通り、ほぼ完全に残っています。 道幅1.8mのおだやかなつづら折れになっており、途中には加工した跡や中番所などが見られます。 城の北側の入り口へ続くのがからめて道。ガルテン八千代に登り口があり、尾根に沿って登ります。 「本丸跡」、「大手虎口」など分かりやすい表示も立っていますので、安心して散策を楽しんでいただけます。

野間山城跡 http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?cid=109&lid=106

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

極楽寺

白雉2(651)年、法道仙人の開基と伝えられています。現在の仁王門は18世紀半ばに建立されました。鎌倉時代後期の作である国指定重要文化財の六道絵を はじめ、釈迦涅槃図や曼荼羅図が多く残っています。六道絵は3幅が連幅となっている鎌倉末期の絵画で、画面上方に十王が位置し、その下に六道の様子が示されています。地獄は3幅にわたって描かれていて、六道最大の見せ場になっています。特に阿鼻地獄は中央幅の大部分を占めています。

国指定重要文化財 六道絵 http://www.takacho.jp/nakafureai/rokudoue.htm 

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

野間山城跡

天正3(1575)年、野間城主・在田源之承宗晴(ありたげんのじょうむねはる)は三木城主・別所重宗(べっしょしげむね)と戦い落城しました。 野間山城の最大の特徴は、両尾根の郭郡とそれに挟まれた谷の大手道が構成する構造で、別名「鶴琳城(かくりんじょう)」と呼ばれています。城跡からは輸入磁器、備前焼、碁石、アカニシ貝などが採集されており、これらの遺物から戦国時代に機能していたことが知られています。また、毎年元旦には、ご来光のつどいを開催しています。初日の出を拝みたいという参加者がたくさん集まり、ご来光登山を楽しんでいます。かつて城門があったと想定される「大手虎口」へ続く登山道「大手道」は、極楽寺から谷に沿って登ります。 つづら折れの道が続く急斜面になっており、敵を迎え打つために都合よくできていました。 現在は俵田県道から一番東側の「本丸敷」へ直接登る登山道が整備されており、こちらが一般的です。 谷道の大手道に対して、こちらは尾根道で歩きやすくなっています。 城跡には防御のための堀切や、石垣の一部、石積みなどが残っています。

光竜寺山城跡:http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?cid=109&lid=109

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

多可町エリア

中村貴船神社

赤面隆鼻の面(天狗面)をつけ、長方形の花笠をかぶり、褐色の舞鶴紋のある衣を着た龍王が八尺あまりの木槍を振り回しながら神社の庭を飛び回る「龍王の舞い(りょんりょん)」で有名な神社です。龍王は、大昔天からやってきて排水路や田畑の区画測量をした猿田彦命だと言われています。 伝説として、太閤秀吉が貴船神社に参拝し、陣太鼓1個を寄進したとも言われています。

  • 歴史に触れる
  • 歴史・文化

ハートにグッと北播磨