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加西市エリア
北条の宿(しゅく)
千年以上前に建立された住吉神社、新西国33箇所にも指定されている酒見寺の門前町として栄えてきた「北条の宿(しゅく)」は、山陽、山陰を結ぶ交通の要衝として栄え、古い町並みが今も残っています。
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加西市エリア
北条鉄道
北条鉄道とは北条町駅~粟生駅間13.6kmの区間を片道23分で結ぶ鉄道です。北条町駅は、兵庫県加西市の表玄関の駅で、北条鉄道の本社もあります。おしゃれな駅舎が自慢で、ここから一日17往復の列車が走ります。お得なフリー切符(840円)は1日乗り放題。また、おいしい加西産のはちみつや鉄道グッズも販売しています。【障害者用トイレは北条駅のみ設置されています】
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鶉野飛行場跡・soraかさい
姫路海軍航空隊、川西航空機姫路製作所鶉野工場跡 姫路海軍航空隊鶉野飛行場は、太平洋戦争が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和17年に着工し、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。 飛行場の建設に伴い、昭和18年10月には姫路海軍航空隊が開設され、同時に航空整備、兵科、運用、主計、航海、機関、通信、工作、兵器、砲術、医務等の兵隊が在隊していました。 また、飛行場の西南には、川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など 500機余りの戦闘機が組み立てられました。 当時、航空隊には、17歳から25歳までの若者が全国から約320名集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていきました。 昭和20年には、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われました。 今は、飛行場跡は防衛庁が管理しており、一部は神戸大学農学部の敷地として利用されています。
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加西市エリア
山伏峠石棺仏
山伏峠の中ほどに形態を異にする石棺仏がある。南北朝時代の石棺仏として貴重である。 右の1基(写真上)は石英粗面岩製で現高2.25m、幅1.24m、厚さ40cmの巨大な家型石棺で、蓋石の内側に宝珠形の光背を彫り、蓮華座上に定印の阿弥陀座像を彫っている。建武4年(1337年)の紀年が見出された。 左奥の1基(写真下)は、現高2.1m、幅1.05m、暑さ18cmの長持型石棺で蓋石の内面に地蔵半跏像を彫り、左右の両側に化仏の小像を3体、3段に半肉彫りしている。左右4個の縄かけ突起があり、暦応元年(1338)の刻銘がある。
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古法華石仏
石造浮彫如来及両脇侍像(せきぞううきぼりにょらいおよびりょうわきじぞうふせきぞうずしおくがい)日本では最古の白鳳時代(7世紀後半)に造られた石仏です。凝灰石の切石の表面に、いすにかけた中尊と蓮華座上に立つ脇侍をそれぞれ半肉彫りであらわし、天蓋、三重宝塔、各尊の円光背を配し、下方に香炉型をはさんで相対する獅子像を陽刻しています。火災の厄にあったらしく、天蓋及び三尊は半肉彫りの部分が剥離欠失し、わずかに脇侍の一部が残るにすぎませんが、上方左右に造顕された宝塔をはじめ中尊のいすの装飾や獅子の表出などの細部の手法には極めてすぐれた技が認められ、磚仏や押出仏に多くの佳作を残した白鳳時代のこの種の仏教美術の代表的な作と折紙がつけられています。昭和32年から奈良博物館に収められていましたが、地元の熱望によって、昭和46年に本来の古法華の地に帰って来て、今は収蔵庫にまつられ大切に保管されています。なお、古法華石仏は常時公開しているわけではありませんので、ご覧になりたい方は、アトリエ館(TEL0790-46-0268)、または同石仏保存会長 中村貞良氏(TEL0790-48-3224)までご確認ください。
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八幡神社獅子舞
幡神社は加西郡史によると、勧請は永正二年(1505年)といわれ、由緒から飾東郡松原村(姫路市白浜町)鎮座の神を分霊したものと思われます。 獅子舞は、明治20年小野市来住町から伝わったもので市の民俗文化財の指定を受けています。 伝承されている舞は13演目ありますが、中でも「谷渡り」は、6mの梯子を山形に組み、その段上で舞うもので迫力満点です。
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東光寺田遊び鬼会
白雉二年(651年)法道仙人による開基である万願寺が天文七年(1538年)の兵火により消失し、南の坊のみが再興されました。これが東光寺です。田遊び・鬼会は、毎年1月8日午後7時頃より始まります。室町末期頃には既にあったと思われ、その後中断と再開を繰り返してきました。国指定無形民俗文化財に指定されています。 田遊びは五穀豊穣を祈る儀式であり、農作業のしぐさを奉納します。 鬼会は悪霊や災難を追い払うもので、たいまつや矛を手にした鬼が現れ、激しく暴れまわります。
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日吉神社大祭
日吉神社は、天長7年(830)現在奥宮のある鎌倉山より神様を祀るため、近江の国、山王権現(日吉大社)が勧請されました。祭りは毎年10月の体育の日前日に行われます。周辺地域より6基(以前は7基)の神輿が集まり、境内での6基の神輿による巡行は勇壮です。
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住吉神社北条節句祭り
養老元年(717年)老翁老媼の神様が五王子を伴い鎌倉山(河内町)に来られました。随従していた佐保神は北条へ行くように勧め、その途中神宝を盗んで、川東に逃げました。この佐保神が祀られ佐保神社(社町)になりました。 その後、翁と媼は王子を伴い北条に来られて、北条に六町歩の門田を持つ山酒人に宿泊を願い出ました。酒人は手厚くもてなした後、神である証拠を見せてほしいとお願いしました。すると、翌朝には六町歩の門田が悉く平地となり、苗が大きな松に変わりました。ここに山酒人が神殿を造り祀ったのが住吉神社(当時は酒見神社で明治期に改称)だといわれてます。 この住吉神社で桜の季節の訪れとともにはじまる「北条節句まつり」は優美さと勇壮さが織りなす華やかな春の祭りとして有名で、播磨三大まつりの一つに数えられ、長い伝統を引き継いでいます。東西の神輿、14台の豪華な屋台が、街中での巡行と勇壮な宮入を行い、古式ゆかしい鶏合せ神事、龍王の舞などが奉納され、祭りは終日大観衆でにぎわいます。
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八王子神社
長暦元年(1037年)今の滋賀県日吉大社より、八王子大神を勧請して祀り、五穀豊穣、安産守護の神として崇敬されている。伝承によれば、後朱雀天皇の御代長暦元年、この地 天変地異あり、疫病のため死者多く、害虫発生して、五穀稔らず、飢えて斃れる者も少なくなかったので、この地の者二十一人が、鏡ヶ原の南、大歳神社の前で七日七夜の間、妖魔退散、五穀豊穣の祈願をした。その満願の日の朝、東天ようやく白む頃、朝霧たなびく中を白幣矢を射る如く、中空に来て鏡ヶ原に降った。二十一人の者は、奇異に思い幣の降った所へ駆けつけてみると、二十一本の白幣が、そこに並んでいた。その時空中より声あって、『吾は八王子大神なり、当原に鎮まり妖魔を退け五穀豊穣の地となさむ。』と、聞こえた。祈願した二十一人は、歓喜して村人たちに伝え、広州日吉山王二十一社上七座の八王子大神を勧請して祀った。その後、長暦二年後朱雀天皇勅使が参向されて、「正一位八王子権現」の額を奉納祈願、尚、未墾地十町歩を寄進され社領百石の諭旨賜り、開発を荘民に命じられ、荘民は社殿を初めて創建したと伝えられる。永承四月[旧暦]九月七日祭礼当番規定を定め、その後、近衛天皇 久安三年播磨権守従三位藤原忠雅をはじめ、天永二年播磨国司中院源季房、建久年中源範影、亀山上皇の弘安の頃、左中将播磨権守藤原師良、 後醍醐天皇の元弘、建武年中播磨権守資繼王等の武門武将を経て赤松、別所、浅野等藩主の崇敬あり、降って、元文、延享、宝暦以来領主八木氏の崇敬厚く嘉永の初年に至り、領主八木丹波守より、金幣を奉納せられている。
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