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多可町エリア
安海寺
白雉年間(6世紀半ば)法道仙人の開基と伝えられ、絵画や彫刻といった貴重な文化財を多く残しています。その中のひとつが「木造恵弁座像」。恵弁は日本書紀の敏達天皇13(584)年の条にある、日本最初の渡来僧で、崇仏、排仏の確執のなかで、播磨に流されて、大屋集落にあった稚児岩に幽閉されたと伝えられています。また県指定重要文化財の木造阿弥陀如来座像が安置されています。 平安後期に作られた仏様は、柔和な表情で人々を見つめてきました。
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坂本の化椿
幹周り約2m、高さ約10m、推定樹齢約500年で、県内最大級のヤブツバキの巨木として、平成6年2月4日に兵庫県郷土記念物に指定されました。地域の人々の暮らしを見守ってきたこのヤブツバキは、古来から、時季外れに開花することがあることから『化椿』の愛称で親しまれています。また、根本に南北朝時代の合戦で討死者を祀ったという五輪塔や石碑もあります。
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鹿子神社
八千代区大屋集落は長野・中ノ谷・笠ヶ谷の3つの谷に分かれ、これらの谷が合流するところに鹿子神社が鎮守として存在しています。神社の創立・沿革については明らかでありませんが、今の本堂は江戸時代末期の建立と推定されます。全体的に豪華で変化に富んだ建築は、優美かつ重厚感をたたえています。祭神は少彦名命です。1200年前の平安時代に坂上田村麻呂が大屋から二宮神社(加美区)へ地元民に道案内をさせた故事にならい、鎧兜を身にまとう武者行列が今も伝えられています。
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ジュンサイ祭り
毎年6月になると中区曽我井の逆池に自生するジュンサイを収穫したり、ジュンサイを使った料理を振る舞います。この日は、集落民が一同に集まり楽しいひとときを過ごします。たらい船に乗り、早乙女姿でジュンサイを採る姿は何とも言えない雰囲気を醸し出します。
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鳳泉寺
臨済宗妙心寺派鳳泉寺は山号を瑞雲山と称し、孝徳天皇の時代の法道仙人の開基とされています。庭の泉水は、天保時代の功林和尚によってつくられました。池の中にある小さなお堂や対岸に向かってのびる松、高くあがる噴水などが印象的で、境内にはいると目に留まります。本堂にある寺の本尊として祀られているのが、木造の聖観音立像です。県指定の文化財でもあるこの仏像は、ヒノキを用いた一本彫で、衣紋に残されている翻波式の名残から、平安時代中期の作といわれています。きゃしゃな細づくりでおもざしは穏やかな伏し目の慈目で、奥播磨地方の仏像彫刻では、そのできばえが高く評価されています。
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播州糀屋稲荷神社
創立は推古天皇2年の建立と伝えられ、天平時代、称徳天皇の崇敬が厚かったようです。寛永十一年(1634年)、大阪落城の後、姫路城主:本田忠刻に嫁いだ千姫が社堂を建立し、自らの安産を祈願するために詣でたことから安産の神様と知られています。昭和61年、播州清水寺や笠形山、千ヶ峰などとともに「ひょうご風景100選」に選ばれています。長い参道を進んでいくと、狛犬たちと見事な大鳥居が迎えてくれます。ひょうたん型の池がある庭園も見事です。くびれた部分には石橋が架かり、鯉たちが泳ぐ姿を眺めることができます。境内には赤穂の奥野将監の墓所や、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の長女で本多忠刻の妻、千姫の懐妊を祈願した灯篭も残っています。また、春になれば、庭園の先に続く小道で桜やツツジを楽しむことができます。毎年8月1日には八朔祭が開催され大勢の人で賑わいます。
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天神社
天神社は平安時代、当時このあたりの領主であった源頼政公が菅原道真公を祀った神社で、氏子は奥中、茂利、徳畑、中村町の4集落です。閑静な山の中に立ち並ぶ、樹齢数百年の杉木立が神社の周りを囲み、神が降臨されてきそうな雰囲気です。春には毎年、天神祭りが行われ、当日は屋台が出て、一旦、北山麓の「御旅所」に奉納され、巡幸して祭祀が進められます。氏子の3集落の屋台が打ち揃っての奉納は豪壮で大いににぎわいます。
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量興寺(多哥寺遺跡)
650年頃に推古天皇の勅願寺として建立されたと伝えられる多哥寺の後身です。平安末期に藤原顕頼が再興し、高倉天皇の母君の寺として寺格が高まり、量興寺となりました。これまでの調査で、南大門、塔、金堂、回廊、鐘楼、参道が確認されており、多哥寺が播磨地域で最古級の寺で、多可郡の中心となり郡を代表する寺院であったことがはっきりしました。東西64?、南北約80?の大きな規模を持ち、四天王寺と同様の伽藍配置のお寺でした。12世紀には九篠家の荘園となって、僧房や食堂はとりこわされて水田になりました。現在、多哥寺跡に立つ量興寺には、巨大な塔心礎が残り、出土した瓦から、播磨地方でも最古の寺院のひとつに数えられています。また、梵鐘鋳造の遺構は奈良時代のもので、町の指定文化財に指定されています。
町指定有形文化財 多可寺梵鐘鋳造遺構
http://www.takacho.jp/nakafureai/bonsyou.html
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鍛冶屋線記念館
市原~鍛冶屋間を結ぶ播州鉄道として大正12年に誕生。播丹鉄道、更にJR鍛冶屋線と改称。人々の足として暮らしを支え、親しまれてきた鍛冶屋線は平成2年3月、惜しまれながら廃止されました。線路跡地は、その一部約2kmがカラフルな歩道、かわいいアーチが見所の「歩っ歩の道」として整備され、多くの人々がウォーキングを楽しんでいます。また終着駅である鍛冶屋駅舎をそのまま記念館として残し、車両の一部が展示され、その足跡を知ることができるようになっています。
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鍛冶屋大歳金刀比羅神社
播州三大祭りの一つ「こんぴら祭り」。ご祭神は、大歳神、他三神で、厄除け、商売繁盛、子授け、縁結びにご利益があるといわれています。創建沿革は不明ですが、延宝5年(1677年)の検地帳に神田の記載があることから、慶長年代以前の創立であり、有数の神社であったと推測されます。この神社は、寛政6年(1795年)2月、当集落の藤井孫右衛門氏が病気平癒のため、讃岐琴平宮より勧請したものですが、明治44年1月、大歳神社に合祀し、大歳金刀比羅神社と改称しました。金刀比羅神は仏教の「神」で竜王の意味を持ちます。外観が、平安期以降の寝殿造りの様式を取り入れた「入母屋造平入」となっていて、この地方では珍しい造りとなっています。桧皮葺の屋根は流線型に描いていて、面の中には千鳥破風や唐破風が彫り込まれるなど、軒周りのはなやかな装飾彫刻に目を奪われます。毎年11月に行われる金刀比羅祭礼は、かつて十万人余の参詣者があり、サーカスなどの催し物があり、鍛冶屋線の列車も5~6輌編成で賑わいました。また、姫路の総社祭、北条の住吉神社祭(北条の節句祭)と併せ「播州三大祭」と言われています。境内の稲荷神社を『若宮さん』とよび、1月には子どもたちによる『キツネ狩り』行事が催されています。
スズメノモン
http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?cid=154&lid=151
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銅精錬所跡展示館
西播磨から中国地方へかけての製鉄地帯に対して、東播磨から但馬、摂津の地方は、生野・明延・摂津・多田に至るまで、産銅地帯として知られています。その中でも多可郡は生野鉱床帯に属し、明治時代には御料局の生野探鉱地7郡(養父・朝来・出石・多可・神東・神西・宍粟の諸郡)のうち、特に『鉱産の魁たり』と評されました。多可郡の鉱山は、中区北部にそびえる妙見山と加美区南部の豊部・多田付近の山塊に集中していました。 昭和57年4月、中区『入角山』の石垣山で、県立余暇村公園の建設が着手され、同年6月埋蔵文化財の分布調査が行われた結果、余暇村の中央を流れる小さな谷川を馬蹄形に取り囲んで、推定2万?に及ぶ大量のカラミ堆積が見出されました。この牧野集落一帯は古くより鉱山の町として栄えたところで、石垣山遺跡をはじめとして妙見山のあちらこちらに坑口、ズリ、カラミなどが見られます。その他に、生活にかかわる遺跡として、建物跡、墓地、道標、神社跡、井戸などがあります
北播磨余暇村公園
http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?cid=88&lid=50
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東山古墳群
7世紀(古墳時代後期)に造られたとされる東山古墳群は、16基で構成され豪族の墓だといわれています。県内最大級の石室を持つ1号墳をはじめ、須恵質切妻家形陶棺(焼き物のひつぎ)が原形をとどめた状態で出土するなど、多くの出土品が発掘されています。
那珂ふれあい館
http://www.takacho.jp/nakafureai/
県指定有形文化財 東山古墳群
http://www.takacho.jp/nakafureai/higashiyamakofungun.html/url
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