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多可町エリア
楊柳寺
柳山楊柳寺(俗に柳の観音さん)は白雉年間(6世紀半ば)法道仙人の開基を伝える古刹で、法道仙人が山麓の柳の大木から光りを放っている菩薩を見つけ、その尊像を柳の木に刻んだという故事があり、山号を柳山と称しました。一大霊刹として隆盛を極めましたが、天正年間、野間城落城の際に消失しました。この時、貴重な仏像が運び出され難を逃れました。県指定文化財となっている平安時代の木造十一面観音立像三体・木造兜跋(とばつ)毘沙門天立像・木造毘沙門天立像・木造千手観音立像等六体を今に伝えています。周辺にはシイノキ、 ツクバネガシを主体に、イズセンリョウやタマミズキなどの貴重な 樹木も見られる自然林が広がっています。 この森は、かつて薪や炭の原料をとる生活の場として、また、楊柳寺の鎮守の森としても親しまれてきました。この里山では、まずナンテンやチャノキが林床にみられる荘厳なスギ林に出会えます。その’ナンチャ’広場には、ヤンチャな子どもたちも集えるようテーブルベンチを設置しています。また屋根筋には地域の美しい景観を望める展望あずまやがあるほか、ヤマモモやシイノキの大木や実のなる木もみられます。そして散策路は、山頂にあずまやがある観音山へと続いています。山すそ沿いには、大きな松ぼっくりのテーダマツや竹林など多様な森とふれあえる高低差の少ない散策路もありますのでご利用下さい。
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下三原貴船神社
五穀豊穣を願う伝統行事「雨散散」天文10(1541)年、中野間・花の宮貴船神社から分社したと伝えられています。 今の本殿は江戸中期・寛文12(1672)年、淡路浦村(現・東浦町浦)からの出稼ぎ大工たちによって建てられました。重厚な建築は当時の技巧を知る貴重な遺構です。元日に行われる雨乞い行事、雨散散(ゆうばらばら)を民俗行事として伝承しています。 これは、天明年間(1781~1789)に大干ばつに見舞われたとき、村人一同が氏神の八幡菩薩に雨乞いと豊作を祈願したことが始まりであると伝えられています。村人はフジ蔓で作った輪をつけたシキミの枝に神主から雨(お神酒)を振りかけてもらい、その枝を持ち帰り田畑に刺してその年の五穀豊穣を願います。
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中野間貴船神社
氏子は中野間・下野間・仕出原の三集落にまたがっています。祭事には馬駆け(流鏑馬)、屋台の練り込みが行われています。馬駆けについては、その昔、土地の豪族が五穀成就の吉凶を弓矢の的にかけて試したという故事にならって、毎年三集落が交替で当元をつとめる習慣になっています。まず、塩ふりが道先を清め「馬乗り」が弓矢で的を射て参道を三往復します。昔は参道の両側を参詣人が取りかこみ、馬の尻を竿や竹でたたいて狂奔させて盛り上げることが習慣だったようです。
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光竜寺山城跡
八千代地域局北方にある標高214mの通称「トンナ山」の山頂部を主郭とする梯郭式山城です。室町時代中期から戦国時代にかけて建てられ、主郭は南北50m、東西24mの広さを持っています。野間山城に比べて居住性が高く2郭には建物跡が残っています。また、この城山の跡を広く伝えるため、毎年5月に公民館周辺で城山まつりが開催されています。当日は、城山の模型を使った当時の野間城下の説明や、甲冑を身にまとい16世紀の野間城下で行われた合戦の様子の演劇が催され会場は大盛況です。参加者には、当集落からナメコ汁やおにぎりが振る舞われます。 山頂にあった「本丸」は南北48m、東西24mの長方形で、南側には建物跡が確認されています。 ここへ登る道は「大手道」と「からめて道」の二つ。 大手道は県道の大手橋付近から三の丸にいたる道で、かつて使われていた通り、ほぼ完全に残っています。 道幅1.8mのおだやかなつづら折れになっており、途中には加工した跡や中番所などが見られます。 城の北側の入り口へ続くのがからめて道。ガルテン八千代に登り口があり、尾根に沿って登ります。 「本丸跡」、「大手虎口」など分かりやすい表示も立っていますので、安心して散策を楽しんでいただけます。
野間山城跡 http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?cid=109&lid=106
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極楽寺
白雉2(651)年、法道仙人の開基と伝えられています。現在の仁王門は18世紀半ばに建立されました。鎌倉時代後期の作である国指定重要文化財の六道絵を はじめ、釈迦涅槃図や曼荼羅図が多く残っています。六道絵は3幅が連幅となっている鎌倉末期の絵画で、画面上方に十王が位置し、その下に六道の様子が示されています。地獄は3幅にわたって描かれていて、六道最大の見せ場になっています。特に阿鼻地獄は中央幅の大部分を占めています。
国指定重要文化財 六道絵 http://www.takacho.jp/nakafureai/rokudoue.htm
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竹谷山渓谷
多可十景および兵庫観光百選のひとつ、竹谷山渓谷は、多可十景および兵庫観光百選のひとつに数えられ、大小さまざまの滝が連なる美しい公園です。春の桜、初夏の新緑、秋には紅葉が山を染め、四季の豊かな景観を年中楽しめます。渓流に沿って、八十八仏群が静かに立ち並ぶ散策路が整備されています。
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野間山城跡
天正3(1575)年、野間城主・在田源之承宗晴(ありたげんのじょうむねはる)は三木城主・別所重宗(べっしょしげむね)と戦い落城しました。 野間山城の最大の特徴は、両尾根の郭郡とそれに挟まれた谷の大手道が構成する構造で、別名「鶴琳城(かくりんじょう)」と呼ばれています。城跡からは輸入磁器、備前焼、碁石、アカニシ貝などが採集されており、これらの遺物から戦国時代に機能していたことが知られています。また、毎年元旦には、ご来光のつどいを開催しています。初日の出を拝みたいという参加者がたくさん集まり、ご来光登山を楽しんでいます。かつて城門があったと想定される「大手虎口」へ続く登山道「大手道」は、極楽寺から谷に沿って登ります。 つづら折れの道が続く急斜面になっており、敵を迎え打つために都合よくできていました。 現在は俵田県道から一番東側の「本丸敷」へ直接登る登山道が整備されており、こちらが一般的です。 谷道の大手道に対して、こちらは尾根道で歩きやすくなっています。 城跡には防御のための堀切や、石垣の一部、石積みなどが残っています。
光竜寺山城跡:http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?cid=109&lid=109
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中村貴船神社
赤面隆鼻の面(天狗面)をつけ、長方形の花笠をかぶり、褐色の舞鶴紋のある衣を着た龍王が八尺あまりの木槍を振り回しながら神社の庭を飛び回る「龍王の舞い(りょんりょん)」で有名な神社です。龍王は、大昔天からやってきて排水路や田畑の区画測量をした猿田彦命だと言われています。 伝説として、太閤秀吉が貴船神社に参拝し、陣太鼓1個を寄進したとも言われています。
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安海寺
白雉年間(6世紀半ば)法道仙人の開基と伝えられ、絵画や彫刻といった貴重な文化財を多く残しています。その中のひとつが「木造恵弁座像」。恵弁は日本書紀の敏達天皇13(584)年の条にある、日本最初の渡来僧で、崇仏、排仏の確執のなかで、播磨に流されて、大屋集落にあった稚児岩に幽閉されたと伝えられています。また県指定重要文化財の木造阿弥陀如来座像が安置されています。 平安後期に作られた仏様は、柔和な表情で人々を見つめてきました。
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坂本の化椿
幹周り約2m、高さ約10m、推定樹齢約500年で、県内最大級のヤブツバキの巨木として、平成6年2月4日に兵庫県郷土記念物に指定されました。地域の人々の暮らしを見守ってきたこのヤブツバキは、古来から、時季外れに開花することがあることから『化椿』の愛称で親しまれています。また、根本に南北朝時代の合戦で討死者を祀ったという五輪塔や石碑もあります。
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妙見山
妙見山は別名「妙見富士」とも呼ばれ、多可町中区のシンボルでもあります。山麓には古墳群や中世の城郭などがあり四季折々の花々や植物が群生していることから、ハイカーにも人気のスポットです。
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