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三木市エリア
志染の石室[窟屋(いわや)の金水]
志染小学校の西、窟屋大橋を渡って左の小道に入り、山の東裾を奥に進むとひっそりとした木立の中に、「志染の石室」と呼ばれる岩穴があります。この「志染の石室」には仁賢天皇、顕宗天皇となった二王子の伝説が古くから伝わり、「日本書紀」や「播磨風土記」にも記されています。それは、今から約1,600年前、第20代の安康天皇が亡くなったあと、皇位をめぐる争いが起こり、この争いから逃れた市辺押磐皇子(いちのべのおしわのみこ)の二人の王子、億計(オケ)王子と弘計(ヲケ)王子が隠れ住み、のちに弟の弘計王子が顕宗天皇に、兄の億計王子が仁賢天皇になられたと伝えられています。石室の前には玉垣があり、その中に小さな祠が祭られている。脇にはたくさんの石仏が、訪れる人を見つめている。石室の中をのぞいてみると、深さの知れない水がたまっている。この水は冬から春にかけての時期、不思議な現象をおこすことがある。「窟屋(いわや)の金水」と呼ばれる現象である。水面が金色に輝くというこの現象は、ヒカリモという小さな藻によっておこるのだが、ごく限られた場所でしか見られない。
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三木市エリア
御坂サイフォン橋(めがね橋)
イギリス陸軍少将パーマー氏の設計により志染川の清流にかかる日本で最初のサイフォン(噴水管)橋で、明治24年に完成しました。山から谷を通って向かいの山へ水を運ぶこの疎水工事は、当時としては画期的な大事業で、1世紀以上経た今日でも立派な役目を果たしています。その姿から眼鏡橋としても親しまれています。
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伽耶院(がやいん)
大化年間(7世紀半ごろ)、法道仙人が毘沙門天のおつげによって創建したという神秘的なお寺。本堂、多宝塔、三坂明神社本殿、木造毘沙門天立像は、いずれも国の重要文化財となっています。体育の日の採燈大護摩には、山伏姿の修験者が近畿一円から集まり、全山にホラの音がこだまします。紅葉も美しい。 数少ない修験道の寺 志染町大谷にあり、志染川をはさんで、志染の窟屋の反対側に、このあたりでは数すくない修験道の寺がある。寺伝によると、法道仙人が毘沙門天のおつげで、大化年間(七世紀半ごろ)に創建したといわれ、中世にはかなり栄えたらしい。しかし秀吉の三木城攻撃のとき、ここの東南にある丹生山明要寺とともに兵火にかかって一山ことごとく焼失してしまった。その後江戸時代に姫路城主池田輝政や明石城主小笠原忠真らに帰依され、一部が再建されて現在にいたっている。体育の日は関西一円の修験者が山伏姿で集まり全山にこだまするホラの音、もうもうと立ちこめる煙の大護摩で参拝者が各地から集まる。花山天皇の行幸もあり、全盛時代は数十の堂宇、百三十余の坊があったといわれている。6月下旬にはハギ、アジサイ、菩提樹が満開になります。
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山田錦の館
とれとれ農産物と酒米山田錦が勢揃い。地域のとれとれ野菜・特産品の販売や酒米ミュージアムをはじめ、日本酒試飲所、地元食材をふんだんに使ったレストラン、また研修室を備えています。 そして、同じ敷地内には、炭酸含有量豊富な吉川温泉「よかたん」や、無料の「足湯」があります。疲れた体をリフレッシュされてはいかがですか?
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道の駅みき
道の駅みきの建物は、翼を広げた金物鷲をイメージした設計で、大工道具のまちらしく木材をふんだんに使用しています。また、屋内・屋外それぞれに貸室・有料施設を備えており、屋内2階は金物展示販売場と貸室会議室・催事場で、主に企業の皆様方のPRや商品販売会等にご利用頂いています。
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三木市エリア
三木ホースランドパーク
「馬とのふれあい」をテーマにした公園。緑に囲まれた広大な敷地内でポニーや馬車の試乗などが楽しめるほか、厩舎では馬たちを間近で観察できる。また、おもしろ自転車やキャンプ場なども完備し、幅広い野外活動の場としても人気がある。
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吉川温泉 よかたん
堂々とした天然木をふんだんに使ったロビーには、八角形をした塔屋の窓から柔らかな日差しが注ぎ込みます。
「幸の湯」と「福の湯」の2つに分かれており、男湯と女湯の入れ替えは一週間毎になります。
週替わりの大浴場「幸」と「福」の湯には、サウナや釜風呂のほか、各湯にあるかけ流し式の源泉風呂から湯がこんこんと湧き出ています。
湯けむり立ちのぼる露天風呂に身を浸すと、心も体もほっこりします。
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三木城跡
神戸電鉄上の丸駅下車徒歩3分。秀吉による三木城攻めは、凄惨を極め、城主別所小三郎長治は兵士や領民の命と引き換えに一族とともに自刃したという歴史を秘める。城塀に囲まれた本丸跡に「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された長治公辞世の歌碑があります。 毎年5月5日には三木城跡を中心に市内各所で長冶公を偲び、三木の大恩人として後生に長く語り継ぐための行事として別所公春まつりを開催しています。
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金物資料館
昭和51年に開館した金物資料館は、金物に関する貴重な資料、金物製品を保存、展示しています。古来から伝わる昔ながらの作り方や、職人が「かじやさん」と呼ばれていた時のことが、よくわかります。 また、金物資料館の前庭には唱歌「村のかじや」記念碑が昭和53年に建立されました。この記念碑は大正初期から子どもたちに歌われ、親しまれてきた「村のかじや」が学校の教科書から姿を消したことを惜しんで、特産金物の産地として古くから鍛冶屋が栄えた当地にこの歌を永遠に残そうと建てられたものです。
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旧玉置家住宅
江戸後期の建築様式を伝える国登録有形文化財の建物です。文政9年(1826年)に、上州館林藩の財政建て直し策を図るため、切手会所(今の銀行)として建てられたことをはじまりとしています。
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慈眼寺(じげんじ)
大化4年(648年)の開基と伝えられ、一時期荒廃しましたが南北朝時代に播磨守護の赤松則村が再興したと伝えられる古刹です。紅葉の名所として知られ、参道の紅葉のトンネルも見事です。また、鼠小僧次郎吉の墓があることでも知られています。
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