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- カテゴリー「歴史に触れる(歴史・文化)」
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三木市エリア
本要寺
~別所長治の首検分がされた寺~神戸電鉄三木駅下車徒歩5分。三木合戦で残ったお寺で、秀吉が最後の本陣とした。三木住民の税を免除した秀吉の制札を納めた宝蔵と、制札を守って町を救った三木義民を讃える碑があります。 毎年7月18日には「夏の義民祭」が開催される夏の義民祭 天正8年、三木城攻めを終わった羽柴秀吉は、寺院の中でただひとつ焼けなかった本要寺に本陣を移して、自刃した別所長治の首実検をしました。このあと、戦火をのがれて四散した町民百姓を呼び戻すため地子免許の制札を立てました。これは、長治の善政をそのまま真似たものですが、制札は後世になってもおおいに役立ちました。たびたびの領主替えになっても、先の領主にもらった書付け(地子免許状)を差し出して税や様々な労役を免れてきましたが、徳川の世「延宝の検地令」はその願望を打ち砕きました。そこで、本要寺を会合場所として町民の会合を開いた結果、平田町の大庄屋「岡村源兵衛」と、平山町年寄「大西与三右衛門」が江戸城へ直訴に出発しました。当時の直訴は死罪でした。延宝5年3月に三木を出立した二人は、老中にまで願い出ましたが結果は思わしくない秋を迎えました。この時、本要寺に残されていた秀吉の制札がみつかり、早速江戸へ届け出たため、有力な証拠となり、暮れもおしつまった12月24日になって幕府から赦免を認められました。しかも誠意が認められた二人は死罪を免れ、再び三木の地を踏むことができました。二人の没後、本要寺に二人を義民として顕彰する碑を建ててその功をたたえました。そうして制札や記録がいかに大切かを知った人々はその側に宝蔵を建て多くの文書を残しました。本要寺では7月18日に法要と古文書を虫干しし「夏の義民祭」を執り行っており、又、大西与三右衛門の墓がある本長寺では12月8日に法要と共に「冬の義民祭」を執り行っており、二人の功績をたたえています。
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密教院(善祥寺)
通称善祥寺と呼称されるこの寺は、孝徳天皇の白雉2年(651)、法道仙人の開祖と伝えられ、当時は一山諸堂宿坊が甍を並べて壮麗を極めたが、天正年間、三木合戦のときの兵火に遭い消失しました。その後、再興され幾多の修理と再建を経て現在に至っています。境内の古い鎮守社(1間社春日造、芽葺)は、県の重要文化財に指定されています。大賀ハスや、京都の巨椋池系のハスなど、住職が集めた200種類を越えるハスが境内で栽培されています。
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栄運寺
羽柴秀吉の本陣があった平井山から地続きの山で、秀吉が陣中の汗を流した野風呂があったと伝えられています。また、この裏山にもうひとつの竹中半兵衛の墓があります。
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天津神社
平成15年12月に改修工事を終えました。延徳4年(1492)建立、正面一間、側面二間、入母屋造、妻入り向拝、檜皮葺付。細部の彫刻や彩色のあとも残っており、村人が一致協力してつくったという記録も残っています。
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秀吉本陣跡
羽柴秀吉が三木城攻めの本陣とした付城です。美嚢川と志染川の間に面した山上に位置します。南西に三木城を望むことができます。 天正6年(1578)7月、織田信忠が当地に着陣して築城し、羽柴秀吉に引き渡したとされます。10月15日、秀吉は平井山に津田宗及を招き、記念すべき初めての主催となる茶会を開催しました。同22日に別所方が襲来して平井山合戦が繰り広げられ、別所治定などが討ち死にし、別所方は敗北しました。 城の構造については、数多く残る三木城攻めの付城群の中で最大の規模を誇り、三木城の反対側の谷部に雛壇状の曲輪(くるわ)郡を設け、軍勢の駐屯部を確保しています。これは、三木城から付城内の軍勢の状況が見えないようにするためといえます。 なお、秀吉本陣跡の位置については、従来は当城の谷を隔てた北側の山上の城跡とされてきました。しかし、江戸時代前期に描かれた『諸国古城之図』(浅野文庫所蔵)に収められている「播磨国平井山」の絵図を頼りに現地確認及び測量調査を実施したところ、当城が絵図と酷似していることが判明しました。これにより、この地点が秀吉本陣跡であることが明らかとなりました。
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金物神社
上の丸にある金物神社には、銅版の衝立に合祀した神名が記されている。●天目一箇命(あめのまひとつのみこと)鍛冶の祖神●金山毘古命(かなやまひこのみこと)製鋼の祖神●伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)鋳物の租神 古代の三神を合祀。金物業者共同の守護神として奉斎しています。昭和10年に三木金物販売同業組合の呼び掛けで、この地に金物神社が創建されました。技量、人格ともに優れた匠が御番鍛冶となり年番制で11月第一土曜日にふいごの火入式(鍛造)が行われています。鍛冶の祖神、製鋼の祖神、鋳物の祖神をまつっています。
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常厳寺
NHKテレビの大河ドラマ「太平記」でも活躍した、赤松則村(円心入道)ゆかりの寺です。赤松氏は、村上天皇の皇子貝平親王の子孫で、西播磨佐用庄(上郡)に本拠を構えました。則村は、播磨の守護職として、一族繁栄の基礎を築きましたが、禅宗に深く帰依して得度し、円心入道となり、上郡に法雲寺を建設し、東播磨の三木にも守護仏を祀る寺を建て、聖観音を安置しました。
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金剛寺
白雉2年(651)法道仙人開基(伝)。天長4年(825)、空海が諸国修業の折に立ち寄り、カヤの木で薬師如来を刻み一堂を建立したと伝えられています。天正の兵乱で堂塔を失いましたが、大村由巳の尽力で寛文5年(1665)に現本堂が建立されました。金剛寺の鬼追い式については古例では正月朔日~10日に行われていましたが、近年は4月初旬第2日曜日に金剛寺春祭り、聖天様の祭日と共に盛大に鬼おどりを行っています。
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上田桑鳩(そうきゅう)の碑
吉川町は、前衛書道の創始者であり、書道界の発展に大きな功績を残した上田桑鳩のふるさとです。書に生き自分を律し続けた桑鳩の人生は、常に前向きで新しいものに挑戦する執念と情熱にあふれていました。独自の書風は見る者を魅了し、希望を与えてくれるような力強さに満ちています。偉大な書道家上田桑鳩にあやかり、書道を通じたまちづくりにも取り組む吉川町、みんなが気軽に書にふれ楽しさをわかちあえる「墨華香るまちフェスティバル」を毎年開催しています。その中で「みなぎの書道展」は、兵庫県下各地から幼児から高校生までの作品6000点以上が寄せられる展覧会です。また、上田桑鳩にちなむ「記念展」など関連行事も行われています。墨の香りがどこからかただよってくる、そんな日常が吉川には宿っています。
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三木市立堀光美術館
三木市立堀光美術館は、1982年に堀田光雄氏(故人)が建物とコレクションを三木市へ寄贈されて開館した美術館です。 堀田氏は戦後の混乱期に三木町の町長を歴任し、金物会社の事業とともに金物業界の振興に尽力され、郷土の発展に多くの功績を残されています。また美術文化にも造詣が深く、永年にわたる収集品の中から選びぬかれて寄贈された美術品を堀光コレクションとして収蔵しています。 現在の堀光美術館は、緑豊かな三木城址の静かな佇まいの中で、現代美術品、歴史資料等の公開と、地方色あふれる活動を進め、心に潤いと豊かな感性を育み、市民に親しまれる芸術文化振興拠点になることをめざしています。
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